2018年6月7日木曜日

昨年の原稿をアップします(少々バグって読みにくいかもしれません。アシカラズ)


現代美術的、人生の挑み方・楽しみ方

美術家 今田淳子




 KIEP 研究大会において私が講演をさせていただく大義はなんだろうか。やはり私の体験に基づくお 話をすることだろう。また、「国際教育を考える」とはどういうことなのか。相互・自己理解、自国理解の為の教育と理解して進めることにする。国際の英訳にふくまれる INTER~は、internet, interstate, interactive, interdicipline など、毎日良く耳にする。「~間」の意味で、国家間、研究内容間を「跨ぐまたぐ)あるいは「繋ぐ」意味であろう。国家間・民族間の経済競争が激化し、ナショナリズムの主張の張り合 いの中、個々の生命は枠や垣根、国境を越え複雑な結びつきをする、生き方選択の自由時代である。
 ルーチョ・フォンターナという 20 世紀のイタリアの美術家を紹介しよう。彼は 1947 年、ミラノでスパツィアリズモ(空間主義)を宣言。単色に塗られたキャンバスを切り裂いた作品を展覧した。画布の表面を瞬時に裂き、穴をあける(TAGLIO=ターィオ切りこみ)ジェスチャーにより、古い絵画表面との決別 を表明、新時代を切り開いたのである。現代アート。それは日常に転がる事象を別の視点からライトア ップし、新しいモノの考え方または私たちの生き方・在り方を世の中に常時様々な方法を駆使し、発信し続ける。
 1997年、私は単身イタリアミラノ市に渡り、それから13年間ヨーロッパで過ごした。世界地図上で 遥か東、極東アジアの小国からはるばるやってきた私は、ローマカソリックの偉大な歴史の国で白紙からの再出発をした。「si o no(イエス オア ノー)」と尋ねられ「どちらでも構いません」と思う自分。自分を出さないことが美徳ともされる国で生まれ育った自分の意見の鈍さを知り、そこにTAGLIO(ターィオりこみ、あるいは止めること)をいれることから始めた。美術学校では初日の少人数でのミーティング で、「表面の表現を盗みにくる日本人は、とても器用だが、自分の内面から構築する思考と着眼の主張 に至らない。イタリア人は誰かのコピーをしない。自分の頂点を追い求めるのみだ。」というクリアな教示・厳しい言葉の洗礼を受けた。貧しさのな かに自分の流れとヴォリュームを追求したアメデオ・モディリアーニも、 緊張高い騎馬の彫刻で世界に知られる私の母校ブレラ美術学校の教授でも あったマリノ・マリーニも、そしてイタリアの父親がわりであった柔らかさを思わせる板ガラスと金属を組み合わせた彫刻で独自の世界観を開花させたジャンカルロ・マルケーゼも、共通して「無邪気な一途さからくる強さ」を持っていた。私は子どもの頃の様に、ただ一途に、無心に、好きな かたち・色・光・動き・言葉・素材・音を探す「遊び」に集中し、楽しんだ。歳月をかけ、各地の専属のギャラリー、美術館での発表をするに至るまでに自分を広げることが出来た。上写真:カステルバッソ(テーラモ市)にて作品『BIO』展示中のわたし(2003年)

 日本では「遊び」は「仕事」の反対語として認識され、不真面目であることの様に思われている。近 年、子どもには「思いつくままの遊びの時間」がほぼ無い。あれこれ厳しく規制・統制され、学びに繋 がるだろうと大人の考えた「紛いものの遊び」か、お勉強に固められている。遊びとは生半可なものを 指さず、時には危険も伴う探求と観察であり、熱狂を意味し、全ての人間活動の礎、人間力となると私は思っている。長きにわたりイタリアでは作品制作や発表だけではなく、そこに暮らし、生を楽しみ、 時には災難にも遭い、子を宿し、出産し、子育てをした。とりわけ子育てにおいては日本とイタリアの 大きな違いを毎日目にした。娘が1歳から通い始めた保育園では、大人は中断を言い渡すことなく、子 どもが選んだひとつの遊びをもう終わりと自分で止めるまで、つまりフロー(溢れる・飽和状態)まで 見守る。保育士がお話をし、それを絵にしてきたこどもたちにもう一度お話しさせる。保育士が書き留 め、絵を持って帰った子どもと親がそれを通じてまたコミュニケーションする。至ってシンプルである が、ひとつひとつの「大人の行為のもつ意味と子どもへの影響」を深く理解し、過ごす一日をオーガナイズする大人の想像力と愛情体験が要る。こうして幼少期からイタリア人の粘り強い
探究心と集中力、ディベート力、楽しい会話に満ちた生活と愛は育つのだと   

                                      
                                      
                                      
                                      
                                      
                                      
                                      
                                      
                                    





上写真:作品『Colinne`s dream/小鈴の夢』、 下写真:子どもと作った色粘土を綿に縫い閉じた作品。

 娘が6歳の2010年に日本に帰国した。わたしの日本不在の13年間は、母国の変化のめざましい発達と大きな問題点を浮き彫りに見せた。他の国にない心遣いの溢 れるサービスと高レベルの公衆衛生管理の下での便利 で清潔な暮らし。そして一見、衣食住の困窮もなくなったかの様だ。しかしながら、その「快適至上」は人間生活を人工化し、均質化もした。大人も子どもも自然から 離れ、自然の中に生きていることを忘却した。狭い時間の枠に詰め込まれ、早急に結論を求められ、遊びは物質的な気晴らしと刺激的なものへ偏った。生きがいや本物を見つけることがむつかしく、「心の貧しさ」が際立った。陰湿ないじめや若者の死へのベクトル。機械ではない生身の人間である私たちの枯渇した愛・こころへの呻きうめき)が聞こえる。















右写真:彫刻遊具プロジェクトのワークショップ参加中の娘(2歳半)






 そんな中起こったのが、2016年4月の熊本地震である。
自然がもたらした TAGLIO(ターィオ切りこみ、あるいは止めるこ と)は壮絶で、死者を出し、沢山の人が 家を失った。同時にライフラインの断絶 のなかで自然の脅威にひれ伏し生きる 体験は、私たち全てに自然の中に暮らす 実感を与え、漠然と繰り返されていた 日々の時間への問いをもたらしたと思 う。避難所生活の中で、自発的に生活物 資の配布や炊き出しをし、不都合を訴え る老人たちを気遣い語りかけ案内をす る小中高校生の活動は、本物の学びであ ったに違いない。
 有限のいのち、人生は一度きりであることを悟ることは、私たちにルネッサンス(再び生まれること)を決意させる。本震の後、恐る恐る玄関をあけると今までに見たこともない数の花たちが太陽の下眩しく鮮やかに狂い咲いていた。強い揺れにショックを受けたいのちたちが、懸命に自身の、そして種の存続を懸けて大きく開いた姿だった。既に同年1月HIGO-ROCK! HIGO-ROCCA!と称し、熊本市民の思い出の沁み込んだ古い着物を使い肥後六花 を制作する「肥後六花プロジェクト」を発動させ、着物を市民に募っていた。肥後六花とは、かつて侍 が熊本の地で愛と執念の歳月と品種改良の末作り上げた、金銭での売買が及ばぬ精神の美の結集であっ た。物欲と金銭欲、名誉欲の溢れる現世でこの花たちを知り、そのハイブリッドかつ純粋なかたちを学 ぶことは意義深かった。作品制作は奇しくも4月地震の直後から始まることになった。日本文化の象徴 きものとイタリアの革、毛皮、ガラス、プラスチック、金属鋲、畳、陶器などの多素材をブリコラージ ュする素材と素材を繋ぐ仲介者、この地の物語の語り手、つまりInterpreter(通訳、表現者の意)の使 命として、「震撼の花たち」を制作した。二ヶ月おきに一輪、六花でちょうど一年が巡った。全身全霊 でくまもとの花を咲かせるという行為をライトアップし傷ついた土地でいのちの存在を主張、確認した。

上写真:Erba beata — ひかりの褥(第六花:肥後芍薬部分) 大きな白い花の中心の花芯には復活を象徴する3羽の雛鳥が生まれている

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上写真:「誉のくまもと展」熊本市現代美術館展示より今田淳子『震撼の花たち』





 体験は時に私たちの行為に 篩ふるい)にかけ、この授かった生の中で何が一番大切なのかを見せてくれる。
私たちにとって、自らのいのち、そして愛を護り育てること、それ以上に大切なことはない。これから の若手の人口減少つまりは国内の頭脳不足とAI(人工知脳)時代の到来は、この国の将来をどう変化させるのだろうか。官民挙げての盲目ともいえる子供の学習競争・体力競争は、本当に必要なことなのかという疑問は、疑問のまま放置してはいけない。共有し、それぞれが考え、語らなくてはならない。TAGLIO(ターィオ 切りこみ、あるいは止めること)をいれるのは私たち次第である。Meglio tardi che mai. (メーリオ タルディ ケ マイ遅 くともやらないより遥かに素晴らしい)Piano piano, ci arriviamo.(ピアノピアノ、チ アリビアーモゆっくりゆっくり、到達するよ) よくイタリアで耳にするフレーズだ。


 異国に長く留まり、その文化が心身に浸潤するこ とは「比較」と「選択」を可能にする。それぞれの 好きなところ・嫌いなところ、良いところ・悪いところを知ることによって、INTER~時代の「国際ハイブリッド」な生き方・考え方は可能である。温故知新の精神で事象を見極め、時に自身の思考に TAGLIO(ターィオ切りこみ、あるいは止めること)と SCOSSA(スコッサ揺れ)を入れ、転換の、そしてルネッサンス(Rinascimento=リナッシメント再び生まれること)のチャンス を作りながら、人生を謳歌し(VIVEREヴィーヴェレ)、皮膚 (PELLEペッレ)感覚や動物的勘を大切に、柔軟性(ELASTICITA` エラスティチタ)を持って流転を楽しみたい。






 
                                                          上写真:La Partenza ‒ 永遠の愛(第四花:肥後山茶花、部分) 





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