2017年1月24日火曜日

有用性、至高性(熊本地震後の寄稿内容より)

刷り上がり後なので公開します



「大人の価値観と追い込まれる子どもたち」
今田 淳子

 夜9時。ミラノ市では温かい間接照明の光と愛情に包まれゆったりくつろぐ家族時間。伊の経済を牽引する都市のオフィスに人はいない。一方日本では、大人同様多くの子どもたちも帰宅していない。白熱灯に晃晃と照らされた無機質な学習塾の机に向かっている。
 官民挙げてワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)が叫ばれているが、現実では近年ワーカホリック(仕事中毒)は子どもにまで広がった。過剰な早期学習によりそれは今や幼児期に始まり、小・中学生に蔓延している。下校後学習塾に通うことが当たり前。睡眠時間をのぞいた子どもの生きる時間は教育を受ける時間になった。子どもから遊びが消えた。厚生労働省の発表では学習サービス業の新規求人数は今年も増加傾向。大卒、ポスドクの良き就職先として、そして未だ「より良き人生はより良き進学にあり」とする一様な価値観のための商品として、現在需要と供給の関係が見事に成立している。集中を促すためのパーテーションで区切られた小さな空間、短い休み時間に搔き込むコンビニエンスストアのお弁当、「迅速に」「正確な」答えを導く訓練といえる学習・・・無駄なく有用性に富むが、人間味を欠き空虚で喜びがない。感覚が麻痺するほど毎日耳にする残酷な死や傷害のニュースは、幼少・青年期から与えられた過密な日程に従順で、唯物的な刺激による欲求の発散に慣れ、愛情に飢え、乾きしらけ、歪な生活の中に埋没してしまった孤独な個の叫びではないだろうか。
 世界価値観調査の、「日本の20代は世界一チャレンジしない」「日本の成人の知的好奇心がとても低い」という残念な統計結果は、現在の日本の教育が「学ぶ楽しみ」を奪い「心の老化」を招いていることを証明している。成人の数的思考力は日本に比べ相対的に低いイタリア。しかし「新しい事を学ぶことが好き」の肯定率は日本の倍を示した。生涯学び続ける意欲は、変化に富んだ新時代を生き抜くために必須な人間力である。余暇や芸術を楽しみ、至高性を重んじる国イタリアの人生観・教育観にこれからの個の決断や幸せな暮らしのヒントがあるかもしれない。
 「生きる」を意味するイタリア語「VIVERE(ヴィーヴェレ)」。賞賛や激励を意味し日本でも耳にするViva!〜(ヴィヴァ!〜)の語源である。身体的・精神的両方の生の意味を兼ね備える。昨年4月、突然の大地震から守り抜いた肉体的生。避難所で自発的に働く子どもたちの姿には精神的生が輝き、皆に活力を与えた。Viva!子どもたち。日本語で「する」という意味の使役動詞fareVIVEREを命令形にすると「Mi fai vivere!(ミファイヴィーヴェレ!)」。直訳すると「生きさせて!」だが、「自由にさせて!」「放っといて!」という「解放」の意味が入る。この世に生まれてきた個の「VIVERE(生きる)」の意味を問い、その愛に気付くこと。時には画一的な価値観にしがみつく手をゆるめ、時間を切り刻み詰め込むスケジュールを一掃し、思い切り自らを休息、遊びのなかに解き放とう。個人の心の活性化と思考の小さな変化が生きやすい寛容な社会通念に繋がるように思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿