ちょうどイタリアにいたのでこの記事を書く方にご迷惑おかけしたことを思い出した。
しかし、、もう暫くしたらコロナ早く収束していただきたい。。。
ちょうどイタリアにいたのでこの記事を書く方にご迷惑おかけしたことを思い出した。
しかし、、もう暫くしたらコロナ早く収束していただきたい。。。
1997年、私は単身イタリアミラノ市に渡り、それから13年間ヨーロッパで過ごした。世界地図上で
遥か東、極東アジアの小国からはるばるやってきた私は、ローマカソリックの偉大な歴史の国で白紙からの再出発をした。「si o no(イエス オア ノー)」と尋ねられ「どちらでも構いません」と思う自分。自分を出さないことが美徳ともされる国で生まれ育った自分の意見の鈍さを知り、そこにTAGLIO(ターィオ切りこみ、あるいは止めること)をいれることから始めた。美術学校では初日の少人数でのミーティング
で、「表面の表現を盗みにくる日本人は、とても器用だが、自分の内面から構築する思考と着眼の主張
に至らない。イタリア人は誰かのコピーをしない。自分の頂点を追い求めるのみだ。」というクリアな教示・厳しい言葉の洗礼を受けた。貧しさのな
かに自分の流れとヴォリュームを追求したアメデオ・モディリアーニも、
緊張高い騎馬の彫刻で世界に知られる私の母校ブレラ美術学校の教授でも
あったマリノ・マリーニも、そしてイタリアの父親がわりであった柔らかさを思わせる板ガラスと金属を組み合わせた彫刻で独自の世界観を開花させたジャンカルロ・マルケーゼも、共通して「無邪気な一途さからくる強さ」を持っていた。私は子どもの頃の様に、ただ一途に、無心に、好きな
かたち・色・光・動き・言葉・素材・音を探す「遊び」に集中し、楽しんだ。歳月をかけ、各地の専属のギャラリー、美術館での発表をするに至るまでに自分を広げることが出来た。上写真:カステルバッソ(テーラモ市)にて作品『BIO』展示中のわたし(2003年)探究心と集中力、ディベート力、楽しい会話に満ちた生活と愛は育つのだと思う。
娘が6歳の2010年に日本に帰国した。わたしの日本不在の13年間は、母国の変化のめざましい発達と大きな問題点を浮き彫りに見せた。他の国にない心遣いの溢
れるサービスと高レベルの公衆衛生管理の下での便利
で清潔な暮らし。そして一見、衣食住の困窮もなくなったかの様だ。しかしながら、その「快適至上」は人間生活を人工化し、均質化もした。大人も子どもも自然から
離れ、自然の中に生きていることを忘却した。狭い時間の枠に詰め込まれ、早急に結論を求められ、遊びは物質的な気晴らしと刺激的なものへ偏った。生きがいや本物を見つけることがむつかしく、「心の貧しさ」が際立った。陰湿ないじめや若者の死へのベクトル。機械ではない生身の人間である私たちの枯渇した愛・こころへの呻き(うめき)が聞こえる。
異国に長く留まり、その文化が心身に浸潤するこ
とは「比較」と「選択」を可能にする。それぞれの
好きなところ・嫌いなところ、良いところ・悪いところを知ることによって、INTER~時代の「国際ハイブリッド」な生き方・考え方は可能である。温故知新の精神で事象を見極め、時に自身の思考に TAGLIO(ターィオ切りこみ、あるいは止めること)と SCOSSA(スコッサ揺れ)を入れ、転換の、そしてルネッサンス(Rinascimento=リナッシメント再び生まれること)のチャンス を作りながら、人生を謳歌し(VIVEREヴィーヴェレ)、皮膚 (PELLEペッレ)感覚や動物的勘を大切に、柔軟性(ELASTICITA` エラスティチタ)を持って流転を楽しみたい。